お金との付き合い方で人生の役割は変わる

こんにちは、石井です。

この前、知人とジンギスカンを食べに行ったのですが、その時にクラシック音楽業界の”闇”について語り合っていました。

”闇”といっても単純なもので、要するに「何千万というお金と幼い頃からの膨大な時間をかけてプロの演奏家になっても音楽の道だけで食っていけるのはほんの一握り」という常識のような問題のことです。

もちろん「プロになっても食っていけない」というのは音楽業界に限ったことではありません。美術もそうだし、スポーツ業界もそう。いわゆる「芸能」という言葉で一括りにされる業界は大体同じでしょう。

ただ音楽業界は、その中でも圧倒的にお金の先行投資が必要になります。

楽器代はもちろん、レッスン代や衣装代、留学代など。それら全てを20歳前後で払わなくてはいけないわけですから、ホント親が裕福でないとやっていけません。

僕はこういう話になると決まって「僕のWEBマーケティングの知識を活かして彼らを助けられないだろうか?」とか考えるのですが、その日は驚くことに全く違う思考回路が働きまして、ある発見をしたんです。

今日はその人生観が変わるような発見をシェアしたいなと思います。

お金を巡る壮大な分業体制

僕が発見したのは、音大生と彼らに投資する両親の間にある壮大な分業体制です。

つまり、お金を貯める両親と、そのお金を使う音大生で、世の中を豊かにしていくための役割分担をしているのです。

これに気づいた時、僕の中でお金の価値観がガラッと変わりました。

例えば、世の中には「お金が人生の全てだ」と思っている人が少なからずいます。

「お金さえあれば幸せになれる」というのはどう考えても幻想だと思うのですが、そういう人って未だに結構いるみたいです。特に上の世代に。

で、僕はそういったお金の亡者のような人々を見るたびに残念に思っていたのですが、音大生がやっている壮大な分業体制に気づいてから、一概に残念とは思えなくなったんです。

どういうことか説明するために、そのお金の亡者のお金の使い道を考えてみましょう。

たくさんお金を持っている人に限ってお金を使う時間がないというのは良く聞く話ですが、僕はそれ、半分正解で半分間違いだと思っています。

なぜなら、お金を使う時間がないのは自分で使おうとする場合だけで、自分が貯めたお金を他の誰かが使うことは可能だからです。

その典型例が先ほど紹介した音大生のケース。親は仕事三昧でお金を使う時間はないかもしれないけど、子供の教育費にその多額のお金を回すことは可能です。音大生の家は裕福なことが多いので、そういう人は結構いるのではないかと思います。

そうやって自分の子供がお金を使うために血眼になってお金を稼いでいるのなら、お金の亡者がいても別に悪い気はしません。

それどころか、他の誰かを豊かにしているので、そういった人がたくさんのお金を稼ぐことはこの世界全体のために有益なこととなります。

自分が贅沢するためだけにお金を貯めるのはどうかと思いますが、貯めたお金を人のために使うのならば、お金を稼ぐことは決して悪いことではないのです。

一方、今回の音大生のように自分では稼げない額のお金を周りの人から頂いている人も多くいます。

音大生はもちろんのこと、スポンサーから生活費を頂いているスポーツ選手や銀行からお金を貸してもらう起業家などもそうでしょう。

しかし、起業家のようなビジネス用途ならまだしも、自分の生活費や教育費を他の人に出してもらっているとなると世間的には良くないイメージが付きまとうと思います。

でも、この壮大な分業体制に気づくと、その視野が狭いことがわかる。

なぜなら、周りの人からお金を頂いている人たちは、頂いたお金を使って自分を高め、その高まった才能や能力からエンターテインメントを生み出して世の中に還元しているから。

彼らもお金の亡者と同じように私腹を満たすためだけにお金を集めているのなら話は変わっていますが、自分たちが生み出すエンターテインメントを通して世の中を良くしていこうという気があるのなら、むしろドンドンお金を与えて上げて欲しいと僕なら思います。

だって彼らがエンターテインメントを生み出してくれるからこそ、僕たちは明るい生活をすることができるわけです。彼らにお金を与えても今すぐには返ってきませんが、数年後に世の中がもっと楽しくなるのならいいじゃないですか。

全ての目的は「循環」を起こすこと

この話を踏まえると、音大生とその両親は「世の中を豊かにしていく」ということを目的にした分業体制を敷いていると見ることができます。

あえてその分業体制を役割で分けるなら、お金を貯めて他の人に渡すサポーターと、もらったお金を別の形に変えるプレーヤーでしょうか。

そういった視点を持つと「たくさんのお金を稼いだ方が偉い」とか「お金は借りるものじゃない」とかいう常識が間違っていることに気づけます。

だって、たまたま世の中を豊かにしていく上での役割(ポジション)が違うだけですから。

お金を稼ぐ役割なら稼ぐことが大事だし、お金をもらわないと活動できないのならもらえばいい。

サポーターとプレーヤーのどちらが偉いとかいう話ではなく、それぞれがそれぞれの役割を遂行しているかどうかが重要であって、自分に合ったやり方で世の中のためになることをすればいいんです。

お金を貯める人生を送っているのならサポーターとして。お金を使う人生を送っているのならプレーヤーとして。

お金との付き合い方一つで人生の役割は変わってくるんです。

そして最終的には、サポーターもプレーヤーもやることが同じになってきます。

それが「循環を起こす」ということ。

サポーターは貯めたお金をプレーヤーに渡し、プレーヤーはもらったお金を別の形に変えてサポーターに回す。僕らが人生を通してやっていることって、その一連のサイクルを皆で協力してひたすら回していることに過ぎません。

だから、お金と上手に付き合いたいのなら「循環」を意識した使い方をして行けばいいんです。

今自分の手元にあるお金は世界全体を巻き込んだ大きな循環の中でたまたま自分の手元にあるだけだから、周りの人のために使って循環を加速させていこう。

常にそんな意識を持ってお金を使っていくのがお金との正しい付き合い方だと僕は考えています。

ちなみに、こういうお金を循環させる意識で生活していると、お金は使えば入ってくるということがわかります。

今までいろんな人と話してきましたが、成功している人ほどそういう感覚で生きてます。

お金がない時って普通はお金を使うのをためらいますが、お金が欲しい時こそ逆にお金を使ってみる。

すると、出ていったお金が別の形になって入ってきたり、それ以上の金額になっても戻ってきたりするものなんです。

「お前それ科学で証明してみろよ」と言われたら何も返せませんけど笑、僕はそういう考え方をあえて採用するようにしています。お試しあれ。

ということで、お金との付き合い方についてお話させていただきました。ありがとうございました!

愛してるゲームとコンサルティング

こんにちは、石井です。

この前3連休に友人としまなみ海道へ行ってきました。

初日に広島観光、2日目にしまなみ海道でサイクリングからのキャンプ、3日目に松山観光というプランだったのですが、いやぁ~楽しかった!

しまなみ海道のサイクリング自体は2回目なのですが、みんな疲れ切ると一周回ってナチュラルハイになるんですよね。

あの何を言っても盛り上がる独特の空気感はいいですね~。正直、学生時代よりも学生らしい旅行でした笑。

…さて、そんな旅行だったのですが、旅行中に”ある遊び”が流行っていたんです。

それが「愛してるゲーム」。

お互いに愛してると言い合って照れた方が負け、という何とも照れくさい遊びです。

自分で言うのもあれですが、正直かなり強かったです、僕。

なぜかというと僕がコンサルティングしたり人の相談に乗る時に使っているテクニックがそのまま使えたから。

コレを知っていれば感情に流されずに人の相談に乗ることが出来るようになり、結果的に相手の悩みも解決しやすくなって相談による満足度も跳ね上がります。

僕が実践しているこの「愛してるゲーム必勝法」、人の相談に乗る仕事をしている人にはぜひ真似して欲しいものです。

愛してるゲーム必勝法

テクニックと言っても別に難しいことではありません。

やることは一つ。

目の前の相手に向かって愛してると言わない。

それだけです。

「はー?どういうこっちゃねん?」という方も多いと思うので、もう少し説明しますね。

つまり、目の前の相手ではなく、目の前の相手の背後とか頭の中とか心の中とか、そういった部分に別の存在を感じて、その存在に向けて「愛してる」と言うんです。

大切なのは、別の存在がいるのかいないのかは置いておいて、そこにいるんだと仮定すること。

イメージしづらい人は相手のことをロボットだと思ってください。ガンダムでもマジンガーZでも何でも構いません。とにかく中にいるパイロットが操縦するロボットです。そのパイロットが目の前の相手の頭の中にいると思って、そのパイロットに向けて話しかけるんです。

あとここでポイントになるのが、目の前のロボットは暴走していてパイロットも制御不能な状態に陥っていると仮定することです。

つまり、目の前の相手の言動は相手の本心じゃないと思い込むんです。

「パイロットは本当は別のことがしたいんだけど、ロボット(本体)が勝手に暴走している。だからそのパイロットを助けるために目の前の相手(のパイロット)の相談に乗っている」

ここまで考えられたら十分です。

そうすると目の前の相手の言動が(失礼ですが)大した意味もないものに感じてきます。相手の言葉に惑わされることなく軽~く聞き流すことができるようになります。

あとは好きなだけ「愛してる」って言えばいいし、人の相談に乗ればいい。目の前の相手の言動は相手の本心じゃないと思い込めば、感情に流されることもなく落ち着いて対応することが出来ます。

言葉は平気でウソをつく

今お伝えした愛してるゲーム必勝法ですが、別に愛してるゲームとかコンサルティングとかに関わらず、人と話す時はいつも使ってもいいぐらいです。

言葉って平気で嘘をつきます。心理学とかでも人の本心は言葉ではなく行動(生理的な動き)に表れる、とか言いますよね。

だから、こんなことを言うと誤解を招きかねませんが、人の言葉って信用しないで聞き流した方が良かったりします。

もちろん、言葉を聞き流してはい終わり~ではありません。目の前の相手の表情とか細かいしぐさ(これを微表情と言います)とかを見て、相手の本当に言いたいことを察するんです。そして、その察したものに対して答えていきます。

目の前の相手の言葉に惑わされず、相手の微表情を見て、感じて、理解する。それが出来て初めて、本当の意味で人の相談に乗れるのかもしれませんね。

ちなみに僕は「誰かに話しかけた瞬間にすでにその人との間には何らかの誤解が生まれていると思え」と言われたことがあります。

だから、愛してるゲームをする時に限らず、日頃から誰かと話す時は相手の言葉ではなく気持ちを察する訓練をしておいた方がいいです。(僕も絶賛訓練中)。

最低でも「言葉は不完全なもの」ということぐらいは覚えておきましょう。

それでは今日はこの辺で。ありがとうございました!

真面目な人ほど恋愛が下手な理由

こんにちは、石井です。

よく「真面目な人は恋愛が下手」なんて言われますよね。

さっき「なんでそう言われるんだろー?」とお風呂に入りながら考えていたのですが、一つの結論に至ったので、湯冷めしないうちに笑、書き留めておこうと思います。

真面目と不真面目の違い

まず、真面目な人とそうじゃない人の違い。

それは会話における「フィクションの有無」です。

真面目な人って会話の全てが事実で構成されているんですよね。ウソを言うのに抵抗があったりして、話の内容が淡々と事実を述べるだけなんです。料理に例えれば、何の調理もせずに食材をそのままお皿に載せてお客様にお出ししている感じ。

一方、真面目じゃない人(良い意味で)ほど、会話にフィクションが多くなってきます。

ここでいうフィクションは「ウソを述べる」とか「話を盛る」とか言うことではありません。話のネタに装飾を加えてオモシロおかしく伝えるってことです。こちらも料理に例えれば、しっかり料理したものをお皿に盛り付けてお客様にお出しする感じでしょうか。普通ですね。

真面目な人は事実の世界に住んでいる

「つまり、真面目な人は話が面白くないからモテないんでしょ?」

まぁ、そういうまとめ方もできるかもしれません笑。でも、僕がこの場で言いたいのはそんなことではないんです。

僕が言いたいのは「発言が真面目であればあるほど、話を真面目に聞こうとする」ということ。

つまり、真面目な人って事実を並べるのが会話だと思いがちなので「相手も事実を伝えるために話をしてきてる」と思って話を聞くんですよね。だから、相手の一言一句に意味付けをして正確に解釈しようとします。

するとどうなるかというと、相手にとっては何の意味もない些細な言葉に反応して「もしかして、この人は俺のこと好きなのかも…」とか思っちゃうんです。真面目な人ほど言葉の意味が気になるので、気づいたら勝手に妄想を始めているんです。

そして、気づいたら恋に落ちている、と。笑

別にバカにしているわけではないのですが、これが「真面目な人は恋愛が下手」と言われる所以だと僕は思いました。

事実がベースにあるノンフィクションの世界に住んでいるがために勘違いが起こりやすいわけです。

真面目な人が知らないフィクションの世界

ちなみに、真面目じゃない人、フィクションを話に取り入れられる会話が面白い人は、真面目な人と逆のことが起きます。

つまり、自分の話は大した意味のないフィクションだと思って会話しているから、相手もそのつもりで大して意味のない話をしてきているんだと考えるんです。

だから、相手の言葉の意味を考えたりなんかせず、かるーく流します。会話が面白い人ほど会話は事実を伝えるものではなく場を盛り上げるためのものと思いますので、言葉の意味なんて究極的にはどうでもいいわけです。

すると、相手の言葉に惑わされることがないので感情もブレず、気づいたら自分より先に相手の方が恋に落ちてたりします。

だから不真面目な人ほどモテたりするんですね。

言葉が世界を支配する

「サピアウォーフの仮説」というものがあります。

少し前に「登場するUFOの形がお菓子のバカウケにしか見えない」と話題になっていた映画『メッセージ』にも登場したのでご存じの方もいると思います。

仮説の詳しい説明は割愛しますが、簡単に言えば「普段僕らが使っている言語に過去・現在・未来という時制があるから僕らは過去・現在・未来という枠組みでこの世界を見ているけど、いざ言語から時制が無くなったら未来のことも見通せるようになるんじゃね?」とかいう夢のある話です。笑

今回の話はそれに近いかもしれませんね。

自分がどんな意図・目的で言葉を発しているかで、返って来る言葉の意味・解釈も変わってきます。

自分がどんなフィルター(価値観)を通して世界を見ているかで、自分が受け取る情報も変わってくるんです。

だから「変わりたい」とか「成長したい」とか思うのなら、今までの自分がしないような経験をたくさんすることで世の中を見る視点を増やして自分のフィルターを豊かにするのがオススメ。

目の前の物事に意味づけしているのは自分なんで、何かを変えたいのなら自分を変えちゃうのが一番早いということです。

一日一つ、今までの自分がしなかったことをして行きましょう。それだけで数年後には天と地の差が生まれているはずです。

それでは今日はこの辺で。

ありがとうございました!

新垣結衣が教えてくれた物の価値の決まり方

こんにちは、石井です。

今日は10月21日に公開される新垣結衣と瑛太が主演の映画『ミックス』の試写会に行ってきました。

はい、確かに行ってきたんです。

…座席の前まで。笑

今日はどうしてそんなことになったのか、僕に起こった悲劇とガッキーが教えてくれたビジネスの基本についてお話します。

全ては一枚のハガキから始まった

僕の悲劇は、仕事仲間から一枚のハガキを受け取ったことから始まります。

頂いたそのハガキを見てみると「報知新聞特別試写会」の文字。

実は一緒に仕事をしている人がスポーツ報知に広告を載せていまして、僕はそのつながりで報知新聞が主催している映画の試写会におじゃますることがあるんです。今回のハガキもその映画の試写会の招待状なのでした。

「もらったからには行くか~」

ここ半年ぐらい映画にハマっている僕にとってこれは嬉しいプレゼント。しいて言えば、テレビドラマにありがちな内容そうで、そういうのをほとんど見ない僕には気が引ける部分もあったのですが、ガッキーは目の保養になるので行かない手はありませんでした。

勢いって大事だと思います

そして迎えた試写会当日(今日)の17時30分。

「あんまり遅くいっても良い座席に座れないかもしれないし早めに向かおうかな」

遅刻が得意な僕もこういう時は早めに出かけようとします笑。が、しかし!

「あっ…(仕事のアイデアがひらめく音)」

アイデアってこういう時に限ってひらめくんですよねぇ(しみじみ)。僕はひらめいた時の勢いを大切にして仕事をしているので、結局昼からやっていた仕事を続け、当初の予定より20分遅れで会場に向かうことになりました。

この選択が悲劇を招くことも知らずに。

壁の向こうのガッキー

いざ会場につくと、入り口の前の階段に長い列が。

どうやら会場が混雑しているらしく入場規制をかけているようでした。

で、立って待つこと40分。

試写会会場の扉の前まで来たのですが、一向に進む気配がない…。スタッフの方々の説明もないし、扉の向こうでは何だか拍手と歓声が上がっているしで、僕の並んでいる列に不穏な空気が漂い始めます。

「説明1つ無いとはどういうことだスポーツ報知。塩対応してると発行部数落ちるぞスポーツ報知。」

そんなことを考えながらモヤモヤしていると、しびれを切らした列の人がスタッフに状況を尋ねました。

すると、どうやら中ではすでに試写会が始まっていて、スペシャルゲストで新垣結衣と卓球の石川佳純&吉村真晴ペアが来ているらしい。

「え何、この壁の向こうにガッキーがいるの?石川佳純も?楽しそうに卓球してる?てか、早く中に入れてくれません?」

しかし願いも虚しく、あと20分ぐらい待って映画が始まってからでないと中には入れないとのこと。ですが、映画が始まる頃にはガッキーたちはすでに退場しているはずです。同じ列の人たちもかなりザワザワしていました。

そんな『崖の上のポニョ』ならぬ『壁の向こうのガッキー』状態を宣告された僕は、あることを決意します。

「そうだ、お家に帰ろう」

物の価値は相対的に決まる

そうして家に帰ってきた僕は、今こうしてブログを書いています。笑

なぜ僕は40分も待ったのに、あと少し待てば映画が見れるのに、普通の人なら待つのに、急に家に帰ることにしたのか?

それは「会場の中にいる人はガッキーに会えるけど壁の外側にいる僕らは会えない」ということに気づいた結果、試写会のメインであるはずの映画に価値を感じなくなったからです。

映画を見るだけなら、すでに会場の中にいる人たちも壁の外の僕らも、受け取れる価値はほとんど変わりません。正確には変わるのですが、映画を見るという行為自体に違いはないわけです。

しかし、ガッキーを一目でも見たい僕にとって、ガッキーを見てから映画を見る人たちとガッキーを見れずに映画を見る僕らの間には、受け取れる価値に大きな差があります。

つまり、ガッキーが会場にいるということを知った時点で、僕の中で映画を見ること自体の価値は限りなくゼロに近くなったのです。

そうなると、生ガッキーを見れるか否かが僕にとっての試写会の価値を左右するようになり、生ガッキーを99%見れないことが分かった時点で、もうその場にいる意味はなくなります。

だから、家に帰りました。生ガッキーの登場により価値を感じなくなった映画を見て2時間を消費するぐらいなら、家に帰って作業をした方がはるかに生産的で価値を感じますから。

あ、もちろん試写会で上映された映画『ミックス』を否定しているわけではありません。否定してるって思った人は、この話の本質がつかめてない。

要するに、この世のあらゆる物の価値を決めるのはその物を受け取る人であり、その人が受け取ったものにどれだけの価値を見出すかはその人や物の置かれた状況によって相対的に決まるのです。

今回のケースでは、僕が『ミックス』という映画そのものに完全に価値を感じなくなったわけではなく、ガッキーが試写会に来た今日一日においては価値を感じなくなっただけで、別の日になるとかしてまた別の文脈の中で『ミックス』を受け取った時には価値を感じるかもしれない、ということです。

これが今の時代のビジネスの基本というか”全て”と言えます。

よく「道端に落ちてる石ころすら売れる」とか言うコピーライターの人とかいますけど、そういう人もやっていることは同じ。

今を生きる人は、物そのものではなく、その物の置かれた文脈やストーリーといった背景に価値を感じるのです。

ビジネスをするなら、これだけは絶対に覚えておいた方がいいですよ。ホント。マジで。

だって、聞いた人の共感を生むような物語さえ書ければなんだって売れるということですからね。それだけで食べていけます。物に絶対的な価値がある時代は終わったのです。

こんな素敵なことを教えてくれてありがとうガッキー。ありがとうスポーツ報知。次からは待たされている人に説明ぐらいしてあげてねスポーツ報知。

おわりに

今日は「物の価値は相対的に決まる」ということを伝えたかったのですが、実は、僕の中ではもう一つ伝えたいことがありました。

それが「ネガティブな経験をポジティブに再定義する」ということ。

普通の人が今回のような体験をしたら「スポー〇報知はクソ」とか言いそうですが、僕は逆に「ありがとう」と言いました。だって、確かにモヤモヤはしましたが、おかげでガッキーから大切なことを学べましたし、ブログのネタも増えたわけですから。笑

こういったネガティブな体験の再定義ができるようになるだけで、人生すっごく生きやすくなります。皆さんもぜひ真似してみてください。そこらへんの話は長くなるので、また別の機会にでも。

それでは、ありがとうございました!

僕があえて値段の高い通販サイトで買う理由

こんにちは、石井です。

僕は普通の人が聞いたら「バカなの?」と言うようなお金の使い方をよくします。

普通の人のように損得だけを考えてお金を使っても、お金を使うどころか逆にお金に振り回されて大切なものを見失う気がするからです。

今日はそんな僕のお金の使い方を例に「お金の正体」を探ってみようと思います。お金の価値観がぶっ壊れるような話に出来たら、いいな。

比較して一番安いところで買うのが常識

僕は普段「食」にめちゃくちゃ気を付けてまして、添加物や化学調味料、遺伝子組み換え作物はなるべく取らないようにしています。

しかし、ストイックになればなるほど、安心安全な食べ物って手に入らないんですよね。例えば調味料一つとっても、安心して買えるものって大型スーパーなどにはほぼ置いてません。だから、調味料はいつも通販で買っているんです。

この前もお気に入りの醤油が切れたので「どこか安いとこないかな~」と様々な通販サイトを巡っていました。

調べた結果、Amazonが安いという当然の結果に落ち着いたんですが笑、カートボタンを押そうとした時に「ちょっと待てよ」と立ち止まる僕。

実は、僕がよく利用させていただく通販サイトにも、Amazonより割高ですが、同じ醤油が売っていたんです。

それに気づいた時、僕は即決しました。

「高いけど、よく利用しているサイトで買おう」って。

お金は投票権

普通の人なら、ここで値段の安いAmazonを選ぶと思います。

それなのに高いけどよく利用しているサイトで買うことにしたのは、僕がお金を「投票権」だと考えているからです。

野菜を例に挙げて考えてみましょう。

大量生産された安いけど農薬たっぷりの野菜を売っているスーパーと、手間暇かけて作られた高いけどおいしい野菜を売っている八百屋さんがあったとします。

僕ならこの時、値段が高い八百屋さんで野菜を買います。

なぜなら、農薬たっぷりの野菜よりも安心安全でおいしい野菜を食べたいと僕は思いますし、そういう良い野菜を食べる人が増えることがその人自身のためにも世の中のためにもなると考えているからです。

お金を頂くということは活動をより広げられるようになるということですが、スーパーと八百屋さんの活動を比べた時に、良い野菜を売っている八百屋さんの活動の方に広まって欲しいと僕なら思う。だから、あえて値段が高い八百屋さんにお金を落とすんです。

これは今回のケースでも同じことと言えます。「Amazonの販売者よりも普段使っている通販サイトの運営者に頑張ってほしい。」そう思ったから、選挙に投票する気持ちで、あえて高い方の通販サイトで醤油を買うことにしました。

「良いものは高い」と言われる理由

こういう発想が出来るようになると、値段が高いものも気にせず、損得勘定に縛られないお金の使い方が出来るようになります。

そして、世の中の”おかしいところ”が少しづつ見えてくるのです。

例えば、以前とあるイベントで僕が携わっている有料の動画配信サイトの告知ブースを出した時の話。ブースに来て動画配信サイトが有料だと知ったお客さんにこんなことを言われたんですね。

「結局”金”かよ」って。

別に悪口を言うつもりはないのですが、それを聞いた時「あ、お金に縛られてる人ってこういう風に考えるんだ」と僕は思いました。「たくさんのお金が欲しいから有料にしているんだな」。それが彼の主張でした。

しかし、僕ら運営者としては、そんな気持ちは全くありませんでした。なぜなら、当時その動画配信サービスはバリバリの赤字で、お客さんのもとに届け続けるためには運転資金が必要だったです。こっちだってお金を取りたくて取っているわけではない。お金を頂かないとサービスを続けられないから有料にしているんです。

これが「良いものは高い」と言われる所以です。本当に良いものをお客さんに届けようとしたらどうしてもお金がかかり、値段を上げることになる。かといって値段を上げなければ自分たちが潰れてそもそも良いものを作ること自体が出来なくなってしまう。モノづくり特有のジレンマですね。

そう考えると、僕らの動画配信サイトの会員さんたちは、お金を払うことで「頑張ってサービスを続けてね」と僕らを応援してくれていることになります。

この視点、すごくいいなって思うんです。(自画自賛)

お金を自分の私利私欲を満たすための道具として考えれば、お金に縛り付けられて生活がギスギスしていく。でも、お金は誰かを応援するための投票権なんだと考えれば、応援した側も応援される側も気持ちがいい。

お金の捉え方一つで、世の中にマイナスの感情が広がるのかプラスの感情が広まるのかが決まるんです。

しかし実際は、損得勘定に縛られたお金の使い方をすることでマイナスの感情が広がって争いになり、高いけど良いものを作っている人の元にはお金が集まらず、逆にただ安いだけで身体にも環境にも良くないものばかりが出回っている…。

そんな世の中おかしいと思うんですよね。お金を自分の私利私欲を満たすための道具として使うから、こんなことになるのです。

もちろん自分のためにお金を使うことを全否定するつもりはありません。ですがどうせなら、お金を投票権として、周りの人のために使っていきたいと僕は思います。それだけで良い世の中に近づいていくと思うんです。

おわりに

今日は「お金の招待」について考えてみました。

最後の方ちょっとだけ壮大な話になりましたけど、あながちウソではありません。「どうせなら人のためにお金を使ってみませんか?」という僕からの提案です。

高いものを買うことに抵抗がある人も1回ぐらい冒険してみましょう。大丈夫です、お金って使えば使っただけ入ってきますから。お金は血液のように循環させていった方がいいですよ。(この辺の話はまたどこかで)

それでは、ありがとうございました!

池田学展で考えた「天才との戦い方」

こんにちは、石井です。

先ほど日本橋の髙島屋で開催されている池田学というアーティストさんの個展『The Pen -凝集の宇宙-』に行ってきました。

今日はそこで考えた「天才との戦い方」についてお話します。

今日の話を理解していれば、自分より技術や才能がある人を見て落ち込むことがなくなるはずです。

池田学展、どうだった??

まず、池田学展ですが、かなり良かったです!

サブタイトルの「凝縮の宇宙」にもある通り、池田さんはわずか1mmにも満たない丸ペンを使って独自の世界観がある広大なスケールの絵を描かれる方。

画像では伝わり切らないのですが、とにかく絵が細かい!間近で見ると圧倒されます。

展覧会場の池田さんからのコメントにも書いてありましたが、やっぱり本物を直接見て感じて欲しいですね。池田さんが費やしてきた膨大な時間とエネルギーが感じられると思います。(上の画像の絵は新作の『誕生』。制作期間3年だそうです)

正直「一生練習してもこんなの描けないわ~」とか思っちゃいました。笑

もしかしたら、同じ画家の方とか画家を目指している方の中にも「勝てない…」とショックを受けた人もいるかもしれませんね。自分より上手い人と実力を比べてネガティブになる人って多いですから。

でも、例え自分が画家だったとしても、僕は勝てなくていいと思います。

一流にならないと食っていけない?

僕はクリエイターであると同時にアーティストでもあろうと思って仕事をしています。

いや”アーティスト”なんて言うと大げさなのですが、学生時代は授業そっちのけでフルートを吹いてましたし、大学を卒業してからはデッサンを習っています。とりあえず、今も昔も芸術分野の1プレイヤーであるという自覚はあります。

だから「自分の実力を高めたい」という向上心はめちゃありますし、自分より上手い人の作品に触れて悔しい思いをする気持ちも痛いほどわかる。

では、どうして「勝てなくていい」のか?

人と比べるのはナンセンスだとかアートは勝ち負けじゃないとかいう話は置いておいて、現実問題「プロとして活動するなら一流の実力がないと食っていけない」という常識があります。

この常識は何も芸術の分野に限ったことではありません。エンジニアだろうがデザイナーだろうが、何らかのスキルや才能を武器に仕事をしている人の中では常識ともいえる考え方です。

でも、それはウソだと僕は思います。というより、そういう思考法をしているからダメになるんです。

上には上がいる。

もしあなたが何らかのスキルや才能を武器に仕事をしているのなら覚えておいて欲しいのですが、どんな分野にも必ず、上には上がいます。

今回ご紹介した池田学さんは一生かかっても真似できないと思うほど緻密な絵を描かれる方ですが、おそらく「自分が世界で一番細かな絵を描ける」とは思っていないはずです。

なぜなら、上には上がいるから。どれだけ努力しても天才には敵いませんし、天才の上にはさらなる天才がいます。実力のある人ほどそれをわかっていますし、彼らは多分そんなのどうでもいいとすら思っているでしょう。

つまり、1つの才能やスキルで勝負しようとしても1番にはなれず、その業界の一万人に一人のトッププレイヤーになることすら難しいわけです。

その道の天才と勝負しようとしても、まず勝てません。

上手くもないのに人気がある人

一方で、歌が特別上手くもないのに売れている歌手もいます。彼らに歌を歌わせても一万人に一人のトッププレイヤーにすら勝てっこない。なのになぜ、歌が超上手い一流の歌手よりも人気があったり稼げたりするのでしょうね?

答えは簡単。彼らは足し算ではなく、掛け算をしているからです。

足し算とは、1つの才能やスキルだけで勝負しようとすること。例えば歌唱力1000ポイントの人がいたとして、歌唱力を3000ポイントまで上げれば仕事が増えて有名になれる、という考え方がこれにあてはまります。

それに対して掛け算とは、複数のスキルや才能をかけ合わせて勝負すること。例え歌唱力が500だったとしてもダンス力が1000ポイントだったら、かけ合わせることで総合力500000ポイントで勝負できます。

足し算の世界で勝負をしても歌唱力1万の天才には勝てないけど、掛け算の世界で勝負したら負けないかもしれない。

これからの時代、個人で活動していきたいのなら、自分のスキルや才能を掛け算した総合力で戦うという視点が欠かせません。

一万人に一人の存在になりたいのなら、一つの分野で9999人を抜いて10000人中の1位になるよりも、100人中の1位になれる分野を2つ作って掛け合わせた方が速いですし。(100人中の1位なら99人抜くだけでいい)

人はその人の一か所ではなく全体を見て評価されるんです。

絶対領域を作り上げる

僕がWEBを使って個人の活動を広げる時は、1つのスキルや才能を足し算して勝負するのではなく、複数のスキルや才能を掛け算して「絶対領域」を作ることを意識しています。

「絶対領域」とは、絶対に他の人には負けない自分だけの土俵のことです。

例えば、デザインのスキルだけで勝負するなら、おそらく僕は食っていけません。天才的なデザイン力はありませんし、有名なデザイナーに師事したり大手デザイン会社に勤めたこともないので。

ですが、そこにマーケティングのスキルを加えたら?

クライアントの目的をクリエイティブで解決するのがデザイナーの仕事ですが、人間の購買心理とかWEBを使ったビジネスの仕組みづくりとかに詳しいデザイナーってほとんどいません。

さらに、そこにプログラミングのスキルも加えたら?コピーライティングのスキルも加えたら?

…多分、結構なところまで食い込めるんじゃないかと思います。

なぜなら、掛け算するスキルや才能を増やせば増やすほど、同じことができるライバルが減っていくからです。

つまり、これからの時代に個人で活動するのなら、人生で培ってきた複数の才能やスキルをかけ合わせ、なるべく自分に有利な環境を作り、その中で勝負をすればいい。

勝てなくていいんですよ、負けなければ。

確かに一つのスキルや才能では天才に及ばないかもしれませんが、あなたの人生はたった一つのスキルや才能では決まりません。天才とは総合力で戦えばいいのです。

おわりに

めちゃくちゃ楽しんだ池田学展ですが、当初は池田学さんの個展だとは知りませんでした。

「元・法廷画家の人が個展やってるらしいから行ってくれば?」と言われるがままに来てみたら、どこかで見たことある感じの絵。

実は、少し前に本屋で偶然手に取った画集がありまして、それが池田学さんのものだったんです!

当時はそんな有名な方だとは知らなくて驚きました。こんなこともあるんですねー。笑

…ということで「天才との戦い方」についてお話させて頂きました。

質問などありましたらコメント欄にどうぞ。

ありがとうございました!